四方山話

旅行記を中心に書いています。

ムーンライトながらの思い出

 

 本日、2021年1月22日、JR東海が臨時列車「ムーンライトながら」の運行終了(廃止)をリリースしました。

 ※JR東海HP ニュースリリース「春の臨時列車の運転計画について」 https://jr-central.co.jp/

 

trafficnews.jp

 

 この列車については、個人的にちょっとした思い出があるので、忘れないようにここに書き留めておきます。

 

目次

 

ムーンライトながらとは

 「ムーンライトながら」は、JR東海道本線大垣駅から東京駅の間を走る夜行の快速列車でした。マニアックな列車に見えて、実はかつて多くの人を運んだ歴史があります。旅行者の根強い人気に支えられ、令和の今日まで残り続けました。

 

 元々、東京と名古屋・大垣を結ぶ夜行列車の歴史は古く、自分の親世代(昭和30~40年代生まれ)の頃から既に「大垣夜行」と呼ばれる列車が存在していたようです。これがムーンライトながらの前身です。

 その時代を知る人(両親)に聞くと、昔は夜行バスが現在ほど充実しておらず、新幹線と寝台特急は若者にとっては高価で、名古屋以西と東京を安く行き来したいとなると、昼間の鈍行列車か大垣夜行に頼ったそうです。

 当時は自由席だったため、帰省や旅行の度に名古屋駅で友人と早めに待ち合わせ、席の争奪戦をしたし、乗ったら乗ったで直角形の4人掛けボックスシートでしんどかったそうです。

 

 その後平成に入り、寝台特急(「さくら」「はやぶさ」「富士」など)が次々と廃止されましたし、国の規制緩和により東京~名古屋・関西を結ぶ格安夜行バスが乱立した時期もありました。

 しかし、ムーンライトながらはそういった逆風の中でも何とか生き残りました。かつては毎日2往復だったのが、繁忙期限定の1往復の臨時列車となりましたが、それでも青春18きっぷを使う旅人(18きっぱー)の需要に支えられ、東海道本線(熱海~米原)の時刻表の片隅に残り続けました。

 

 その他、かつては自由席でしたが、臨時列車になってからは全車指定席でした。指定席とはいうものの、18きっぷに快速列車用の指定券(530円)を追加するだけで、東京~名古屋間を片道3,000円台で移動できました。繁忙期限定の臨時列車で、かつ安いので、前もって購入しておかないと座席が取れないぐらいの人気でした。

 でも、安いんだから車内環境は酷いんじゃないの?と問われると、そうだけどそうでもない(可もなく不可もなく)、という曖昧な答えになります。

 ムーンライトながらは快速列車ですが、古めの特急用の車両が使われたので、2×2のシートで全席リクライニングができ、長時間座っても何とか耐えられるレベルでした。ただ、後にも触れますが、乗った日の巡り合わせや独特のルールがあるので、夜行慣れしていないと正直しんどかったです。

 

 参考:ムーンライトながらの歴史についての記事です。

trafficnews.jp

 

 そんな感じのムーンライトながらですが、新型コロナウイルス感染症の逆風には勝てませんでした。2020年の春を最後に運行休止となり、それから再開しないまま2021年1月をもって廃止となりました。

 JRのリリース上、たった2行で終えられてしまったのが、何とも寂しく感じました。

 

高3の卒業旅行

 自分がムーンライトながらに乗ったのは、高3の春休み、つまり大学受験の直後~大学入学の直前でした。自分の大学受験は、出来が悪く、苦労したのを覚えています。私立、国公立とも思うように結果が出ず、3月の敗者復活戦でようやく合格しました。そういう経緯を見ていたからか、両親は「5日間18きっぷで好きな所へ行っていいぞ」と休暇をくれました。

 

 元々小さい頃から鉄道と旅行が好きで、時刻表を読んで計画することはできました。

 さて、どんな旅をしたかと言いますと…

 

【1日目】

愛知⇒(18きっぷ)⇒岡山⇒(高速バス)⇒高知

坂本龍馬つながりの観光をして、おんぼろなビジネスホテルで1泊

【2日目】

高知⇒(高速バス)⇒岡山⇒(18きっぷ)⇒神戸⇒大阪

おんぼろなビジネスホテルで1泊

【3日目】

大阪⇒入学予定の大学を見学⇒大垣

大垣⇒(ムーンライトながら車中泊)

【4日目】

⇒東京⇒疲れて新宿のカプセルで寝る

秋葉原を巡るも何がなんだかわからず⇒熱海の温泉付ビジネスホテルで1泊

【5日目】

熱海⇒清水・静岡⇒愛知

 

 何でもかんでも乗りたいと詰め込みまくった、割と無茶なスケジュールでした。今となってはもう二度とやりたくありません…。笑

 

 残念ながら、当時の写真は残っていませんが、記憶を辿っていきます。

 

 当時、関西から東京へ出るべく、大垣駅23時頃発のムーンライトながらに乗りました。その時点でホームには続々と猛者が集まってくる感じで、すごい人数でした。深夜に人が集まるのは、地元の神社でやる年始の初詣しか知らなかったので新鮮でした。

 車両は189系、クリーム色と赤色の国鉄時代から走る車両でした。シートはふかふかゆったりでした。ただ、古い車両なので年季が入っていましたし、ヘッドカバーが無く、使い終わったらそのまま廃車するのかな…という感じでした。

 

 参考:189系の様子を紹介された記事です。

nukezo.s601.xrea.com

 

 車内はかなり静かで、乗り心地は重厚な感じ。そのままスムーズに名古屋へ着き、名古屋を出ると日付が変わって車内検札(翌日付のきっぷを確認)がありました。ここまでは良かったです。

 

 しかし、静岡県に入ったところで、ムーンライトながらの独特なルールにやられました。

 ➀防犯と途中停車駅の都合上、消灯がない

 ②浜松から沼津まで扉が開かない(時間調整の停車はする)

 

 ➀は事前にわかっていて、アイマスクを持参していました。しかし、そもそもアイマスクを着けて寝ることに慣れておらず、まあ気になって寝れませんでした。笑

 

 ②も事前にわかっていましたが、大変なことに、車内で事件が起きました。これは今でもはっきり覚えています。

 自分の右前方の席で、泥酔した中高年の女性が大声で暴れ始めました。しかも浜松を出た後に…。時間にしておよそ3時間、大声に付き合わないといけませんでした。高校生でしたし、さすがに心細くなり、家へ帰りたくなりました…。笑

 その女性には連れの男性がいましたが、その人が叱って止めようとすると、喧嘩になってエスカレートしました。他のお客さんが通報し、車掌さんが止めに入るも収拾がつかず、途中駅で緊急に扉を開けたのか、沼津駅だったかは忘れましたが、その女性は警察に引き渡されました。

 

 そんなこんなで寝られなかったのですが、デッキへ逃げた時、そこにいた横浜の大学生のお兄さんと「いやあ、困りましたねえ…」とおしゃべりしたのが少し楽しかったです。たしか、大学に入ったらの話をしてくださった記憶があります。

 列車は少し遅れて東京へ着きました。疲れ果ててしまい、観光をせずにカプセルのデイユースに入り、昼まで寝ましたね…。

 

行けるなら行きたい、実物があるうちに。

 というように、ムーンライトながらにはあまり良い思い出がありません。乗ったのは高3の1回きりでしたし、その後の東京行きはバスか新幹線でした。

 

 ただ、あの乗車、あの事件のおかげで、

  お酒って怖いなあとわかりました(わかってない)し、

  その後の旅行でトラブルに強くなり(これは本当)、

  夜行バスがへっちゃらになり(いやピッチの狭い4列シートだけは絶対に許せない)、

  大学1年からの一人暮らしに活きた気がします(うそやろ)。

 

 良い思い出ではないので、この列車を愛していた、みたいな特別な思い入れがあるわけではありません。ただ、今まで当たり前にあったものがまた1つ無くなったわけです。こういう出来事って、今の新型コロナの状況が始まってから何回目だろう、という感想です。

 人が集まるのを避けるためか、予告のない廃止ですし、ラストランはありません。そういう形で静かに、時刻表の端っこから、長ーい1本が無くなります。

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JTB小さな時刻表2018年春号より

 

 鉄道に限らず、思い入れのあるものは見に行けるうちに見に行った方が良い、と改めて思いつつ、見に行くにしても完全に自由ではないので、あーあどうしたものかなあとまた思うわけです。

 またいつものように、状況が少しずつでも改善されるのを願うしかありませんね。

 

(おわり)